「ただのおっさん達を
エグゼクティブにしてやってください」
管理職を「エグゼクティブ」にするための研修をその会社が必要とした切実な理由とは?
「これは我が社幹部としての資質に関わることである」
だいぶ前に、ある会社からエグゼクティブ対象の研修を依頼されたときのことです。ひとしきり打ち合わせをした後、研修を依頼していた担当者の方がおもむろにこう言いました。
「何とか先生のお力で、ただのおっさんたちを『エグゼクティブ』にしてやってください」。笑ってはいましたが、実は切実な訴えでした。その会社にはあまり時間がなかったのです。
その会社をAとします。Aは、老舗企業ではありましたが、業績が低迷しており、その年に会社Bに買収されました。当時社長だった人は事情もあり退任しましたが、元の役員はほとんどが残ることができました。そして、Aはその体制のままで本社のあった地域でBの主要拠点として存続できることになっていました。しかし、実は密かにある指示がB本社トップから下っていました。このトップは米国人です。その指示とはこのような内容でした。
「Aの幹部は現在そのままの体制で主要拠点に残り身分も変更していないが、全員我が社の幹部としてはプレゼンスが低すぎるのが問題である。これから我が社がワールドワイドに業務を展開していくにあたって、幹部となる者の存在感やイメージが低いことは、企業ブランドに関わる。次回のレビューまでに早急に改善するように」
この指示は、Aの買収にあたって、Bから派遣されてきたHRの担当マネージャーに送られました。それが冒頭でお話しした研修担当者でした。その担当者を仮にC氏とします。
C氏は、「うーん、これはまずい」と思いました。なぜなら、この指示には「これは我が社幹部としての資質に関わることである」という一文が添えられていて、C氏はA側の役員たちの存在感やイメージに対するB社トップの不満の強さを感じ取ったからです。これは、このトップが米国人だという理由もあるでしょう。欧米では企業幹部など社会上層部に位置する人間には当然として「エグゼクティブプレゼンス」=卓越した存在感や上質な雰囲気が備わるべきだという考えが根強いのです。
「国内資本のままのときは
実際、C氏は外資系の企業を多く体験しました。ですから、会社の幹部=エグゼクティブというイメージがあり、それなりに雰囲気や振る舞いがスマートな人たちであることが普通だと考えていました。しかし、A社側の役員を見て驚きました。老舗企業であったA社は、どこかのんびりとしており、あまり雰囲気や振る舞いに気をつけるような社風ではなかったのです。そのせいかC氏が期待していたイメージを持つ人はほぼ皆無で、「エグゼクティブどころか、普通のおっさんじゃん。これで大丈夫か」と思ったそうです。(あくまでC氏の表現です)
しかも「次回のレビューまでに」とも書いてありました。これは次回の「パフォーマンスレビュー」=人事査定のための考課のことでしょう。
C氏は「それまでにしっかりと努力の結果が反映されないと、現在の体制に大きな変更が加わるかもしれない。それは決してA側の役員の人たちにとっていい結果にはならないだろう、自分のパフォーマンスにも関わる」と思いました。そこで早急に手を打つことにしたのです。これがこの会社から「エグゼクティブプレゼンス研修」をご依頼いただいた背景であり、冒頭のC氏の発言でした。
そこで「はい、しっかりと最低限のものは身につけていただき、来るべき時に備えましょう」ということになりました。
これからは今までのようにいかない
A社は買収により、以前の企業文化がB社の新しい企業文化と入れ替わったことで、元の役員の持つ雰囲気や振る舞い方が課題となってクローズアップされることになりました。以前のA社の体制であれば、変わらなくてもよかったのに。・・・A社の役員たちもそう思っていたでしょうか?
いいえ、実はそのA社のご本人たちも、何となく問題意識を感じていたのだそうです。そのせいか、「こういう勉強は今までできなかったから楽しい」という感想を何人かの方が「エグゼクティブプレゼンス研修」の中で言ってくれました。
その役員のひとりは「やはり、しっかりした会社というものは役員、幹部に限らず、服装でも振る舞いでもどこかしっかりしている。特に成長している感のある企業はどことなくスマートです。でも自分たちの会社にも自分にもそういうところがあまり感じられない、とときどき気になってはいました。でも変えなかった。外部から見ても内部から見ても覇気のないぬるま湯みたいな雰囲気だったかもしれません」と言います。「まあ、そういうところも今(買収されるという事態)に至っているのかもしれません」
これは、A社だけに言えることでもありません。以前のであれば、企業の幹部になっても普通のおじさんの雰囲気でもなんとかなったのかもしれません。しかし、企業文化もそれを支える人のあり方も今や内外にどんどん開示されていっています。現代の情報社会では感じ取られる雰囲気やイメージは重要です。人はどんどん感覚的になっていっており、きちんと文章で整備された企業文化の説明よりも、そこで働く人たち、特に経営に携わる人たちの存在感やイメージが如実に企業イメージを伝え、世間の評価の元となります。
感覚的なものは、今までも人間にとって重要なものでした。感覚に訴えるものは感情を動かし、感情が動かされると、思考の方向性が決まります。人の感覚に配慮することは、その先にある人の思考を動かす力ともなるのです。
リーダーポジションにいる人が、顧客目線から見ても、内部のスタッフから見ても、感覚的に「いいな」と思われることは。大きなプラスとなります。企業としても外部に対してのブランディング、内部に対してのインナーブランディングをしていく上で、幹部はそれぞれのあり方を示す意識が必要なのです。
幹部だけではなく、それぞれ日常でリーダーポジションにある方は、ぜひご自身が顧客や取引関係者、そして部下に毎日示している存在感やイメージを意識してください。
何が「エグゼクティブ」と「そうでない人」を分けるのか?
さて、冒頭のC氏が感じたように「ただの〇〇」と「エグゼクティブ」と感じさせる人を分けているのは何でしょうか?
これは、私もずっと昔に感じたことでした。私は新卒であるホテル会社に就職しましたが、新入社員としてホテルを訪れるさまざまなお客様を見て最初に思ったことは、「海外からのお客様には『エグゼクティブ』然とした人を何人も見ることができるが、日本のお客様にそうした人は少ない」ということでした。
私が勤務していたのは、5つ星クラスのホテルでしたので、出入りする方々は、ビジネスパーソンとしては、それが外国の方であろうと日本の方であろうとそれなりのポジションの人が多かったはずです。しかしながら諸外国から訪れたビジネスパーソンの方々がはなつ「エグゼクティブ然」とした雰囲気と同様のものを持つ日本人は残念ながらその頃は非常に少なかったのです。
どこかパリッとして、有能で頼りがいがありそうな落ち着きや安定感、そしてきっと国際的に活躍していらっしゃるのだろうなと思わせるような洗練された装いや身のこなし、一般の人とは違う優雅さや鋭さ。そして何よりオーラがある。
「エグゼクティブ」というと想像するのは、やはり上のようなイメージでしょう。少なくとも「卓越した存在感」が「エグゼクティブ」のイメージにはあるのです。申し訳ないのですが、私が新人のころ日本でよく見ていたのは、そんな雰囲気はみじんもない貧弱なオーラしかない人たちでした。「エグゼクティブ」ではなく、さえない中年管理職のような雰囲気です。これがC氏のいうところの「ただのおっさん」ということでしょう。
残念ながら、私が新入社員出た頃と今も変わらず同じような言葉を耳にします。
「日本には『エグゼクティブ』と感じられる人が少ない」
「大きな会社のトップさえも『エグゼクティブ』感を感じにくいことがよくある」
ポジションや業績などに関わらず、イメージで「エグゼクティブ」として安心感を人に持たせた利頼りがいを感じさせる人が少ないのです。どうしてそうなるのかというと、もちろん「外見や雰囲気」ですが、その外見や雰囲気に対する意識の仕方をかたちづくる「自己認識と意図」がそもそも違うことが大きいのではないでしょうか。
座り方からして違う?
例えばあなたは、座り方を意識したことはあるでしょうか?実は、エグゼクティブ然とした人は座り方も違いのです。軽く背筋を伸ばし、男性の場合は足を広げすぎることはせず肩幅くらいに開いて落ち着いた雰囲気で座っています。女性はやはり背筋は伸びて、きれいに膝頭を揃えて足を心もち斜めに流しています。もちろん、かかともちゃんと合わせています。そんな居住まいの人には、書類を読んでいるだけでも「この人何かが違う」と周りが感じる雰囲気が漂っています。
男性がスーツの場合は、座っている際にはボタンをはずしていますが、会う人が来るとさっと立ち上がりボタンを留めます。実はその一連の動作だけでも「できる」感が漂います。動作がなめらかできれいであるのと、振る舞いのコツを心得ていることがポイントです。
リーダーポジションにある人は、周囲から視線や注意がイヤでも集まります。「見え方」を意識し、自分の立ち居振る舞いについても自然に気をつけてきた、その結果がこういう日々の様子に出るのです。ですから、「エグゼクティブ」と「ただの〇〇」を分けるのは、外見や雰囲気に対する意識の仕方をかたちづくる「自己認識と意図」です。そして、それはリーダーポジションにある人間の責任感であると言えるのです。
自分を見ている人間とは、自分にとってのステークホルダーです。そこには自分なりに責任を感じ、自分の責任を果たそうと自然に感じるビジネスパーソンが多いでしょう。顧客や他の利害関係者、部下や上司、チームの人間、家族だって自分にとってのステークホルダーです。自分がいる地域、業界、広く社会だってそうだと言えるかもしれません。自分のあり方を考え、そういった相手に見せる「自分の見せ方」を考える。「エグゼクティブ」の雰囲気を持つ人は、多かれ少なかれそういった意識を持ち、行動できている人です。
そのような視座がなく、誰にどう見えてもあまり気にしない人は、立ち居振る舞いもあまりしっかりとはしていません。例えば、さきほどの座り方で言うと、それなりのポジションにいて人の目もあるというのに、だらっとソファーに深くしずみ、ひざを大きく広げてだらしなく座っている人もいるのです。そういう人を見て、「さすがだな」とはやはり誰も思いません。
商談の初対面、大事な会合、プレゼンテーションなどの場面でエグゼクティブ然としたオーラで強い印象を残します。「ただの〇〇」では、何も感じさせません。そうすると、その差だけでも信頼や期待を受け取れるかどうかは変わりますし、その後の物事の進み方や結果も違うでしょう。仕事の成果は実はすでに左右されているのです。欧米ではなぜ人のプレゼンス(存在感)が幹部としての考課対象となるのか、わかるというものです。
もちろん、そんな「エグゼクティブ然」とした人もプライベートな空間ではもっと脱力しているしれません。しかし、外に出て「自分」を見せるときの意識が大きく違うのは間違いありません。
「存在感」はこれで変わる
意識とか見せ方とか言われても、どうしていいかわからないし、習ったこともない、という方も多いでしょう。そんな方が多い企業なら、ぜひ研修やトレーニングをしてほしいと思いますし、個人で依頼できるトレーニングもあります。うちは企業の研修も個人トレーニングも両方できますので、ぜひご依頼ください。
ただ、最初はその方の「意識」と知っておいてください。意識が変わると、自分自身の「使い方」が変わります。例えば顔つきや眼、姿勢や歩き方から来る印象は大きく、しっかりと意識していただくことで、今まで無頓着だった部分が変わる。そうすると変わる人って多いのです。
ですから実は自分で努力できる範囲はけっこう広いのです。「見せ方」というと身だしなみや服装ばかりを気にされますがそれは一部です。私たち人間が持つ顔や身体といった生身の部分はもっと伸びしろがあるのです。
例えば
●ふだん見せる表情を締める
●会議のときなどの座り方やポジションに気を使う
●話す声や話し方を工夫する
●姿勢をよくする
●人とあいさつするときの様子やマナーをちゃんと学んでおく
●会食のときの食べ方やマナーをちゃんと学んでおく
どれも「ものすごい特殊技術」は必要なく、ただ、基本的なことを知ってそのとおりにやればいいだけです。ただ、その「基本的なこと」は日本ではなかなか学びにくく、何となくそのままの管理職や役職者の方も多いです。個人の意識も大事ですが、企業としても機会を作るべきでしょう。
冒頭の役員研修で「こういう勉強は今までできなかったから楽しい」と参加者から言ってもらえたように、「見せ方や振る舞い方」のようなものは自分に必要だと潜在的に感じて不安に思っている方が多いのです。ですから「具体的にどうすればいいか」をはっきりと知ることができた方たちは安心し自信が自然につきます。
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そして、表情、姿勢、歩き方、基本動作、声、という肉体の部分から今度は服装、公の場での振る舞い方などひととおりの心得を得ておくと誰にとっても自信の源になるのです。ただし、単なるイメージアップではなく、企業のエグゼクティブにふさわしい、つまりはビジネスシーンにふさわしいものを身につけることが大事です。
仕事の能力がある方でも、いえ、仕事の能力がある方だからこそ、周囲が何も言わず納得するような雰囲気は強い武器になります。
こういう「存在感」や「雰囲気」は生まれつき持っているものの差だと考える人も少なくありませんが、違います。意識からの行動で変わるのです。研修の中では、今まで無頓着だった人が、今までどこに無頓着かと気づいただけで、自分に「すごい伸びしろ」を感じていただけました。
服装なども、ちゃんとした考え方を知ると、いかに無頓着に自分の格やイメージを下げるような装いをしていたかを理解できます。冒頭「おっさん」なんて言葉を使ってしまいましたが、これは女性の方にも言えることです。
今から必要なものを、個人でも企業のHRとしてもきちんと考えてください。
丸山 ゆ利絵
プレゼンスコンサルタント®/アテインメンツ合同会社 代表